徒然に

生活[LIFE]

私は結構シビアです。

私にとってのこれまでの人生での優先順位は
1.母より絶対自分が早く死なない事
2.自分の仕事
でした。

母には、生前時から、私は仕事の為には、危篤には間に合わないかも知れないと何度か言っていた。

12月は何度母の病院に言った事か。
恐らくほぼ最終的かも思える訪問の最終日は、12月29日午前6時大阪発の新幹線に乗る事だった。
もちろん私が毎日飲んでいる薬の事もあるのだが、それともう一つ仕事の事があった。
私の人生の優先順位に、母の生命の事ではありません。

11月の仕事での納品の中に1枚間違った写真が納品されていたとの通知があり。
その写真の出来上がりが予定より延びたので、年内納品を優先した事も大きな理由で、29日午前6時に大阪を出て、その日に埼玉自宅から、納品ミスを修正した写真を郵送しました。

28日は、夕方6時くらいに意識のない母の元に訪れ、手をとるととても冷たい。
私は、両手で母の手を握って10分程度暖めていた。

それは、父親が亡くなる一週間前にやはり、父親の手をとってみたら冷たかったのと同一だったと記憶を呼び起こしたものだった。

私には、28日夕方が生前での最後かも知れないという思いは強かった。
そして、29日午前2時過ぎに、病院から電話があり、母の呼吸が弱くなってきており、危ない状態だと通知され、緊急に病院に来る事が望まれると。

何と言う事でしょうか。
恐らく世界の誰もやっていない事だと思います。
私は、28日夜眠る時に、今晩病院から電話があった場合の事を想定して、起床後に行動すべき手順を考えていたのです。

そして、午前2時40分に病院に到着。
母の病室に行くと、個室病室のドアから看護師が、外をうかがっていた。
その時に母の呼吸がなくなったそうだ。
安らかな顔だった。

そして正式には、午前2時55分担当医師が、病室に来て正式な臨終確認がされた。
その後兄が病院に来、その後の処理を行い、私は兄の車で大阪駅まで送ってもらい、当初予定通りの午前6時初の新幹線に乗車して東京まで帰ってきた。

まず行ったのは、ミスをした納品写真の発送作業。

私にとっては、人生の優先順位に従った事をしたまでです。