老いと共に変わる物

生活[LIFE]

昨年の医療費が過去最高17万となるとともに、自分自身の健康面での老いを実感しています。そういう健康年齢だけでなく、実際には、一番重要である思考能力の低下も発生しているハズですが、これは自己認識できないから 客観的意見を言えない。

私も今年還暦を迎える事になるが、昔からの友人知人も同じく、相対的に年を取ってきてい中で、他人の行動にいささか、知的衰えが目に付くようになってきています。
10年前だとシャープで的確な意見を言う人たちが、そのシャープさがなくなり凡人の言葉になっていたり、道徳・倫理規範的な所も 他人を思いやる日本人としての節度に至らなかったりと感じる率が多くなってきたと思う。

他人を思いやるというのは、勘違いしている人たちは非常に多いです。
他人をかばうばかりでなく、他人には厳しい内容である指導的であったりする事もその範囲にあるという事です。本当に重要なのは、後者の方です。

私が思うに、思考的な衰えは、客観性と感情面の天秤にかんけると、感情面がより大きくなって来る事に表れているように思う。

その意味では、私も人を許せるという許容度が低下してきているのかも と言う思いはあります。

私は子供に対しての接し方は、厳しい考え方がベースにあります。
第一に公共性のルール。それは大人も子供も関係ない事がベースです。
子供の経験不足は、その親が是正してやらなければならないのですが、その親自身が、ダメである場合が多いものです。

子供をかばう事は親の責務だし、子供を躾ける事もそれ以上に親の責務です。
大人を育てるのは、他人です。
他人でもまずは、真理に近い事を言う人に耳を傾けるべきですが、それは時に、言われる方にとっては、厳しい内容である事の方が多いでしょう。
よく間違いとして、感情的に許せるかどうかという事に重きをおいている人たちが、ややもすれば女性の方に見受けられます。
でもそういう真理を言ってくれる人の方に、私は、好感を持つ方が多いです。

人と約束をして、その約束を守れないような場合は、当然存在します。
その時に必要な事は、きちんと、その約束を反故にしてしまう事の理由を言わなければなりません。
時として多い場合は、その約束は、約束の天秤にかけた上で、自己の利益を考えての事という場合もありがちな事です。

しかし、私自身は、約束同士を天秤にかけるような事はしません。
結果としては、天秤にかけた事があったとしても、それが自己の益を優先した為であったとしても、それは説明しますし、よほどの事の場合です。

約束の一番顕著な事例は、結婚だと思います。
結構という約束。
それを反故あるいはその当初の自身が感じた相手への想いは永遠に守らなければならない物と思っています。
相手が変わってしまうという事は、自分自身も変わってしまっている事はよくある事です。