徒然に

生活[LIFE]

元旦早朝に大阪から東京に戻ってまいました。

昨日大晦日 友引の日に母のお葬式をやってまいりました。
本当に家族葬でした。

クリスマスとお正月の間に亡くなりお葬式までが年内に済んだのは、母の気持ちだったかのようにも思えてしまいます。

実は私お葬式に対してこれほど思い入れがあったのは初めてでした。
大人になった私をいつもいつも心配してくれた母でした。
それは逆な意味で私もそうだったと感じました。

最後の分かれの儀式である棺桶に花束等を詰める時
私は最後の言葉を声を出して言おうと思ったが声が出なかった。
声を出せば涙で声に成らなかったと思う。

「これまでありがとう。また天国で合うまでバイバイ」と。

声に出さずとも、母ならわかってくれるだろうと。

拾骨の時には、なんの感激もなかった。
入院時に右足の大腿部を骨折した所には、チタン製の添え木がそえられたままだった。
部分拾骨と言って、葬儀業者が選択した主要な骨の一部をその時に集まった人達で順次拾骨して行く事。
私は、その時にも、一声しました。
担当の業者が、チタンの入った右足大腿部の骨を取ろうとした時に、それは止めてくださいと。
生前の母親が痛みを感じていた所の骨を拾骨して、あの世にまで持って行ってもらうのは、母の本意ではないと思ったので。
恐らく、そんな事を言う人は、日本では誰も居ないでしょうが、私は、常に対象者の事を考えてあげたい。そんな事の現れだと自分で思ってしまいました。

父親の拾骨の時にはなんの思いもありませんでしたが、私をどんな事があろうとも心配し続けてくれた母親には、初めて葬式の時にこんな感じになるんだと思いました。
こんな感じはこれが最初で最後なんだろと。