徒然に

生活[LIFE]

12月25日
から再度大阪に戻って母を見舞う
呼吸時にクチ呼吸で本人がしゃべろうとしても、ほとんど内容が把握できない
12月26日
母親に25日に撮った御堂筋のライトアップされた写真を見せたら、綺麗と喜んで看護婦にも勧めていた。

母親から最後に聞いた言葉は
「(私にあえて)うれしい」
だった。

12月27日
母の呼吸が非常に苦しそう
以前から担当医師に言っていた事だが、最終手段として、苦痛を和らげる為に
鎮静剤投与を依頼していた。
但しこのような場合の鎮静剤投与は最終局面での痛みの緩和以外の何者でもない事を関連者全員把握の上の事

12月27日深夜
母の呼吸が非常に荒くなってきた為に、鎮静投与したとの報告あり。
その後、呼吸器関係の荒々しさはなくなる
12月28日
午前中 入院病室を団体4人部屋から個人部屋に移動を希望。
午前中に担当医師から1両日中にアウトとの宣告を聞く。
夕方時点で体温37.7度 酸素マスク適応中。
12月29日 午前2時10分
病院から緊急連絡 母の呼吸が次第に弱くなっているとの事
私は、即座に起きて、ホテルを出ようとするも、年末の為タクシが捕まえがたく、
結局15分程度タクシを待って、午前2時40分病院へ。
常に安全を最優先にする私だが、さすがにこの時は、運転手に母危篤の為、急いでもらうよう言った。
到着したのは、看護師レベルで母が息きがなくなった時だった。
午前2時55分 当直医の元で 最終的な臨終確認終了。
看護師にも最後の母の状態を聞いて、呼吸が徐々に落ちて、亡くなったと。
母の顔が安らかだった事だけが良かった。
亡くなった母に声を出して一言
「よくがんばった。いつか天国で合うまでバイバイ」と。

肺炎等になる前まで、全然元気でしたが、一週間程度で一気に悪化し亡くなった。
苦しみが長く続かなかった それだけは良かったと思う。

最後の最後 私にとっては幾つかの偶然が重なった。
タクシで淀屋橋から病院まで行く道筋を運転手が理解していなかった事。
これは、ちょうど数日前に私が、病院と私の泊まっているホテル間を徒歩で帰っていたので、楽に誘導できた事。
更に29日の早朝6時に新幹線で東京に戻る予定を組んでいたいましたが、その時刻の
3時間前の出来事であった事。

バイバイね。よくがんばったよ。